マグロ散ル、水蒸気の朝に。

原発牛乳がマグロとは特に関係の無い話をたまに書きます。

100年経ってもダイエッター


私は毎日風呂に2時間掛かる。
と言うと大体「長っ!」と驚かれるのだが、中学生の時からずっと風呂は最低でも2時間入っているのでそれより短かったりシャワーだけだと物足りないだけではなく、何となく気持ち悪い。
違和感がある、と言った方が良いだろうか。
風呂に2時間、と言っても2時間ずっと湯船に浸かっているわけではない。
最初の30分はただひたすら浸かり、その後10〜15分おきに出て洗い場で休憩しまた浸かる、というのを繰り返す。
時々浴室から出て体重を計る。
自分の納得のいく体重まで減っていたら頭と体を洗って出る。
これで大体2時間くらい掛かる。
なぜこんなに風呂が長いのかと言うと、体重というものに物凄い執着があるからである。

48cm 2980gという標準値で生まれた私は、小学2年生までは標準体型のまますくすくと育った。
標準と言っても身長は高い方で、いつも後ろから数えた方が早いくらいの高さ。
そのまま育てば風呂に2時間もかかる人生はきっと送らなかったと思う。
小学3年生の頃から何となく増え始めた体重を見て見ぬ振りをし、母が仕事でいない隙を狙ってお菓子を食べまくった。
甘いものは今も昔も大好きである。
しかし当時は歯止めというものを知らない。
理性よりも本能が勝っている時期である。
食べたいだけ食べた。
そしてぶくぶくと太っていった。
それでも身長はまだ高い方であったので、そんなに目立たなかった。
胸が膨らむのも早く、もともと発育が早かった私は10歳の誕生日の10日前に初経を迎えた。
その頃の身長は148cmくらい。
そこから少しだけ伸びたものの、小学5年生で私の身長は止まってしまった。
153cm、45kg。
今でも覚えているのは、小5の春の身体測定で私よりも身長が低く少しぽっちゃりした女の子の体重が47kgだと聞いて「まだ大丈夫」と思ったこと。
全然大丈夫じゃないんだけど、私より体重が重たい子がクラスに存在していることで安心してしまった。
因みに人生で一番ブスだったのもこの頃である。
クラス写真の顔が真ん丸で、しかもオーラが暗い。
この頃はいじめられっ子真っ盛りだったので、毎日がとても陰鬱に過ぎていった。

そして小学6年で母の実家がある離島に引っ越しをする。
そこは同級生が私以外に3人しかおらず、とてものんびりとした島で、名古屋の殺伐としたマンモス校にいた私が馴染むことはなかった。
中学生になった頃、体重が50kgを超えた。
これはやばい。
そう思った時にはもう遅く、中2で体重は58kgになった。
この時が人生で一番重たかった。
「成長期」という言葉を信じ、身長が伸びることを期待して毎日牛乳を飲みまくったが見事に横に広がっていった。
結局私は当時憧れだった安室奈美恵と同じ158cmに届くことはなかった。

気が付けば、鏡に映る自分の姿はただの豚であった。
もともと顔が丸いため、ぱんぱんに膨らんだ顔は月餅のようだった。

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↑月餅

今では考えられないが、鎖骨が肉で見えなかった。
鎖骨が見えるくらい細くなりたい、と当時の私は思った。
思いながら、毎日朝は食パンを2枚、給食はおかわりをし、夜も腹いっぱいになるまで食べ、更にアイスを食べていた。
痩せるはずがない。

しかしその頃世間に半身浴ブームが訪れる。
半身浴というものをすれば痩せる!という情報を聞きつけた私は、早速実行に移した。
取り敢えず風呂ばかり入っていた。
同居していた祖父に心配されるくらい風呂に長く浸かり、まだ無垢だった私は風呂で小説を音読したりしていた。
大好きだった太宰治を音読しながら風呂に浸かる。
周りは海と山しか無かったため近所から苦情が来ることはなかったけれど、今考えると若さだなあと思う。
そしてそれと並行して縄跳びなども始めた。
私は運動神経というものの発達をどこかに忘れて来たらしく、とても鈍臭い。
走れば転ぶしボールを持てば突き指をする。
運動は大の苦手だ。
縄跳びもただひたすら飛ぶことしか出来なかったが、一日2000回くらい飛んでいた。
体力が有り余っていたのはやはり若さであろう。
そのおかげか体重は少しだけ減り、高校入学時には52kgまで減っていた。

入学した高校は工業高校で、女子が全校の1割ほどしかいなかった。
男子が多いところに行けば必然的にモテるであろう。
当時の私はそう思っていた。
甘い…甘すぎる…!
男子が多かろうが豚は豚だしモテない奴はモテない。
同じクラスの女子2人が学年で1.2を争う美少女だったこともあり、豚である私は女として見られることはなかった。
そこでまた私はダイエットを決意する。
今のままではただのデブスである。
せめて普通のブスになろう。
そう思ってからは早かった。
夏休み、友達も大しておらずやることが無かった私はひたすら筋トレをした(島を出て縄跳びが出来る場所が無くなったから)。
一日1000回腹筋をして、風呂に4時間浸かった。
食事は夏だったことも手伝って、ガツンとみかん(アイス)を一日1〜2本食べるだけ。
今同じことをすれば確実に体を壊すけど、何ともなかったのはまだ10代だったからであろう。
そして夏休みが終わる頃、私の体重は45kgまで減っていた。
始業式、同じクラスの美少女に「何があったの!?」とびっくりされるくらいには見た目も細くなっていた。
それから風呂の時間は2時間に減ったものの、体重を維持するために腹筋と半身浴は続けていた。
あわよくば42kgくらいになりたかったが、筋肉が偏って付き過ぎてしまったのか44〜45kgをうろうろしていた。

その後なんやかんやあり、精神科に入院したり高校を中退したりして、過食をするようになった。
このなんやかんやは本当に色々とあり過ぎて自分でもあんまり詳しくは覚えていないのだけど、人生で一番の修羅場だったと思う。
そして過食→過食嘔吐→拒食というテンプレ通りの摂食障害者になった私は、拒食期に43kgまで体重を減らすことに成功する。
でもこの頃は痩せたというよりやつれていて、口に何かを入れれば吐くし全然楽しくなかった。
どれだけ自分の理想の体重に近付けても、楽しくなければ何も意味がない。
その後また過食嘔吐期がやって来て体重が徐々に増え、46kgになった頃妊娠した。

人間というのは不思議なもので、妊娠という事実を目の前にすると今までくどくどと悩んだり毎日泣いたりしていたことが嘘みたいに精神がとても健康になる。
腹の子のためにきちんと栄養を摂るようになり、でも体重が増え過ぎてもいけなくて、私は7kg増という教科書の見本のような体重増加を経て妊婦生活を終えた。
子を産めばその分体重は減る。
子本体、胎盤、羊水などあわせて5kgくらいは減るらしい。
しかし私が入院していた産院は食事がとても豪華であった。
産後体力を付けなくては!という思想に駆られた私はまたしても食べまくった。
そして体重は減らないまま退院した。
それでも「母乳だとみるみる痩せる」という先人たちの言葉を信じ、体重はそんなに気にしていなかった。
しかし、全然減らなかった…
完全母乳で1年1ヶ月、なぜ減らない…!
母乳に甘んじて普通の食事をしていたのが良くなかったのか、体重は53kg前後を行ったり来たりするばかりだった。
このままではただの肝っ玉母さんになってしまう…!
絶対嫌だ………!!!
そう思った私は断乳を期にまたダイエットを始めた。
今回は筋トレと、食事制限である。
しかし当時は義両親と同居していたため、食事を減らすことは許されなかった。
ならば吐くしかない。
私は夕食のあと、トイレに篭ってゲーゲー吐いた。
元夫は気付いていたが何も言わなかった。
自分が面倒な事態に巻き込まれることを嫌がり、嫁が毎晩吐いていても見て見ぬふりをするような男だったのだ。

そして私はめでたく47kgくらいまで体重を減らし、離婚もした。
名古屋に帰って来てから4年くらいは吐くくせが治らず、毎日のように過食しては吐いていたけれど、それも27歳の時に勝手に治った。
多分毎日吐くだけの体力が無くなったから。
今は46kg台をうろうろしているけれど、このくらいの体重が細くもなく太くもなく一番健康的で良いと思う。
あわよくば42kgくらいになりたい気持ちはある。
でも10代の頃についた腹筋もまだうっすら残っているし(ずっと吐いていたため腹筋が衰えなかったのかもしれない)、もう年齢も年齢なので不健康な痩せ方をしてもただ老けるだけである。

毎日風呂に2時間浸かるのは現在の体重を維持するため。
一日で増えた分を半身浴をして汗をかきリセットする。
水分が減っただけ、とも言われるけれど、体重というものは一定の期間同じ体重を維持していれば体が覚えてしまい、増えてもそこに戻ろうとする。
なので維持をすることが大切なのである。
でも、夏までに40kg台前半になりたいな。

というこんな長ったらしい文章も全て風呂の中で書いた。
風呂の中ですることは、昔は読書ばかりだったけれど、最近はiPhoneジップロックに入れてひたすらネットサーフィンをしている。
文章を書いていると集中して時間が早く過ぎるので、ブログを書くのは良いことなのかも知れない。

きっと私は死ぬまで体重に執着して生きて行くんだろうな。